名前/NAME

村上 雄大(ムラカミユウダイ) 
Yudai Murakami 

あだ名 オーガニック

栄養学勉強20年以上(中学2年生の秋から)
高校時に体育科に入り、3年間スポーツ栄養学とスポーツを学ぶ
オーガニック無添加歴20年以上
食事指導・栄養パーソナル歴10年以上
オーガニック業界10年以上

生年月日

1987年9月20日生まれ(オーガニックの日) 2024年9月の時点で37歳

T・B・W・H・FS

T 173cm  *正しい食生活をしていたら180cm行っていたはず
B 内緒
W 内緒
H オーガニックなサイズ
FS 27cm

出身

神奈川県横浜市生まれ、埼玉育ちのオーガニック民族サイヤ人

趣味

仕事

資格

アンチエイジング系栄養学の民間資格

セルフエステ講師民間資格

ローフード民間資格

車のコーティング資格

自動車準中型(大型まで取る予定)、大型自動二輪

スキューバダイビング アドバンス

特技

スポーツ、運動、食べること、しゃべること、文章を書くこと

オーガニックの歴史

オーガニック誕生

モスラの幼虫みたいな鳴き声で、横浜市神奈川区で誕生する。ホエイのミルクは飲めずに大豆ミルクで育つ。*大豆ミルクはおすすめしません

幼稚園 

清浄院幼稚園 血の気の荒いジャイアンみたいタイプだった。よく友達と喧嘩をしたり、幼稚園を脱走していた。

小学校 

越谷市立新方学校 スラムダンクの流川に憧れて(プレースタイルはミッチー)、さらさらヘアのクールで無口を貫いていたら、極度の人見知りになってしまった。小学生の間はまともに女の子と話せなかった。だけど、6年間両思いの女の子はいた(その女の子ともほぼ喋っていないし、告白とかもしていないが、確実に両思いだった、、、はず)。家には常におやつ目当ての大切な友達たちが10人以上は来ていた。家でテレビゲームやカードゲームで遊び、その後に外で遊ぶという少年時代だった。ちなみにかなりのむっつりスケベではあった。そんなこともあり、この時からジャニーズ系と言われていて、若干ナルシストだった。

中学校

越谷市立北陽中学校 野球部に入部。素晴らしい指導者と仲間に恵まれる。中学2年生の秋から食や栄養に気をつけるようになり、オーガニックや無添加も気にし始める。当時、流川だった僕はすぐに坊主にはしなかったが、ある転機が急に訪れた。親友の家で遊んでいたら、その友人が「好きな子に告白する!」と、身の程しらずのことを言い出しやがったのです。その友人はその場で電話かなんかして、好きな子に告白。なんと、成功しやがったのです。2人で喜んでいたら、「おれも両思いやし、いけるやろ」と、そのいい流れのまま、僕もその両思いの子に告白をする。有頂天だった僕は自身満々に告白しました。しかし、答えはNO!!なんと、フラれてしまったのです。その時の、なんとまぁ、親友との気まずい雰囲気は今でも忘れません。後日、なぜフラれたかという理由を人伝いに聞くことができたのですが、その理由が、別の小学校からこの中学校に来た女の子が僕のことをナルシスト(髪が長くサラサラしてるから)だと言っていたらしく、それを聞いた僕と両思いの子は冷めてしまったのことでした。それ以来僕は、流川キャラをやめて、短髪に。さらにその次に坊主となり、芋野郎みたいな野球バカに大変身して、昼休みも素振りをするようなストイックキャラと進化していったのです。ちなみに野球部ではキャプテンをやっておりました。この時もかなりのむっつりすけべでした。

高校

私立修徳高等学校 体育科に入り、スポーツ栄養学とスポーツを3年間学ぶ。体育科のクラスは3年間一緒のクラスで男子校でした。部活は硬式野球部に入部。素晴らしい指導者と仲間に恵まれる。一瞬レギュラーになるが、成績が安定せずにベンチ入ったり、メンバー外だったり。副キャプテンや応援団長も経験する。ちなみに極度の人見知りだったので、野球部のみんなやクラスのみんなとまともに話せるようになったのは3年生に入りたてくらいの時です。クラスに関しては、野球部引退してからかもしれません。高校野球部の最後の夏の大会は、僕の打席の前の人で試合が終了し、秘密兵器で終わりました。前のバッターの人の顔は今でも忘れません(別に恨んでない)。僕がベンチやレギュラーの時は甲子園には行っていないですが、高校時代は2回甲子園に行っております。キャプテンと喧嘩するような部員でした。

大学

桐蔭横浜大学 法学部法律学科に入学。ここでも素晴らしい指導者と仲間に恵まれる。当時、この大学には野球部がなく、1期生として、硬式野球部に入部しました。同時にラーメン同好会にも入る。大学でも野球の成績は安定しないため、レギュラーも経験し、ベンチ入りやメンバー外も経験。大学の思い出は本当にたくさんありますが、毎回合宿にプレステを持っていって、みんなでウィニングイレブンをやるのが楽しみでした。ちなみに自主練は最後まで残ってやるタイプで、気合いキャラでした。片道2時間30分かけて大学に通っていましたが、そのおかげでワンピースを読破できました。桐蔭横浜大学硬式野球部の皆さんとは今でも交流があり、時々グラウンドにも遊びに行かせていただいています。今は、監督さんとコーチの専属栄養パーソナルトレーナーでもあります。

社会人

25歳ごろまで、社会人のクラブチームに入り、下手くそなりにプロ野球選手を目指して日々練習。自営業を手伝いながらバイトをし、野球に明け暮れる日々。

アルバイト経験 車のコーティング屋さん、引越し屋さん、いすゞの新車のトラック磨き
そして、オーガニックヴィーガングルテンフリー、無添加のHIRYUさんでアルバイト。HIRYUさんに関しては、仕事というか、坂社長の話を聞きに行っていました。洗い物サクッとして、フルオーガニック無添加の賄い食べて、社長の話を聞くというのが日課。賄いを僕があまりにも食べすぎて、僕がHIRYUさんを辞めた後は、賄いは有料になったそうです(後輩たち、ごめんよ)。

就職 人生で初めて就職したのが、栄養科学博士のオーガスト博士の会社、アビオスでした。2015年9月に営業として入社(野球しかやってこなかった営業経験はまるでなしの状態)。ここで、真実の栄養学を学びながら営業マンとして働く。この時に、基本オーガニックの食生活でサラリーマンだったのもあり、オーガニックサラリーマンと名乗るようになる。まさに僕の人生のターニングポイントです。

村上印オーガニック誕生

酵素玄米専用炊飯器の販売権を素晴らしいご縁でいただき、アビオスを円満退社し、独立をすることに。個人事業主から初めて、法人化し、今に至る。独立してからはオーガニックサラリーマンから、オーガニック社長となりましたが、オーガニックサラリーマンで名前が知れ渡っていたため、両方名乗っています。*オーガニックサリーマン、オーガニック社長は商標登録取得済み

独立してから、オーガニック男児として、テレビでも取り上げていただきましたが、クセが強すぎたのか、それからは1回もオファーは来ませんでした。収録内容もほぼカットでした笑

メディア

新・日本男児と中居に出演

anan オーガニックサラリーマンとして特集

bis

妊活サポートブックレシピ監修

普段はこんなことしています

オーガニック栄養学のスクール(栄養パーソナルトレーナー育成コース含む)

https://murakamimarkorganic.com/organicschool/

・スクールやサロンなど企業への栄養監修顧問や栄養コンサル
・雑誌や著書のオーガニックや栄養・レシピページ監修
・個人のプロデュース業
・オーガニック/無添加のセレクトショップ(村上印オーガニック)

・カフェやレストランのレシピ監修、プロデュース
・全国のおすすめのショップや飲食店やホテルの紹介
・栄養パーソナルトレーナー(時にはトレーニングや身体操作も教えています)
アスリート、栄養士さん、フィットネストレーナーさん、モデルさん、エステサロンオーナーさんetc.

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